駄話日記

おもしろきこともなき世をおもしろく すみなしものは心なりけり

新しい土地へ。さぁ、カナダ行こうか。

FIREを初めてはや半年。

 FIREについては下記のリンクで。

 

www.white-kutshita.com

 

海外に行ったり、畑を耕したり、本を読んだり。そろそろ新しいことを始める時期だ。

ずっと一ヵ所にとどまっていたら腐る。水も一緒。流れないと腐る。人間もしかり。

そろそろ僕も流れないといけない。

 

 

海外へ行くことにした。

海外に行くことは昨年11月には決めていたのだけれど、学校やら、ビザの手続きなどの関係上3月になってしまった。正直、もっと早く渡航をしたかったというのが正直なところ。退職して、その段階で海外に行くことをきめていたら、年始には行けた。今更そんなことを思っても後のカーニバル。ただ、その当時は、求職をするか否かを悩んでいたので、仕方がない。考えるのも大切なプロセスだと思おう。

 

なぜに海外に行くのか?

「海外に行ってどうするの?」って両親含め、友達にもよく聞かれた。はじめのうちはもっともらしいことを答えた。「英語が話せるようになりたい」「自分を成長させたい」とか。決して嘘ではないけれど、答えたところで、自分自身納得のいく答えではなかった。苦し紛れにそれっぽい返答をしているだけにすぎなかった。

 

今なら素直に言える。

「海外で生活したいから」

「楽しそうだから」

「やってみたいから」

 

やりたいことをやれるのであれば、それは早いほうが良い。僕の好きな本で『本日は、お日柄もよく』(原田マハ著)の中でも「いいほうに変わるなら、変わるほうがいい」

って台詞がある。海外に行くことが全てにおいて「いいこと」とは限らないけれど、日本でくすぶっているなら、環境を変えたかった。

なんでも始める動機なんて人それぞれ。「つまらなそう」を理由に物事を始める人はいないだろう。始めてみて、どう思うかは人それぞれだけれど、きっかけはポジティブな理由から。いろいろ考えてみた結果、先の三つが僕が海外で生活してみようと思った理由だ。

 

我慢する生活

FIREをスタートして半年がたった、と先に書いたが、厳密にいうと海外に行くことを決めたからFIREの生活スタイルに移行した。僕の貯金では、海外で生活するには、学校を含めてせいぜい半年間が限界。

なので、一年の前半を国内で、後半を海外で、帰国後に就職というオーバーオールを描いた。いうなれば、この半年間は我慢の期間だったといえる。

 

金銭的な我慢もあったが、何よりも精神的な我慢のほうが大きかった。無職という社会的存在感の欠如から生まれる、社会との乖離が日々を送るごとに広がってくる感覚があった。調べればわかることでも、逐一役所に電話をし、人とのコミュニケーションの取り方を忘れないようにした。積極的に公共施設を使用し、社会に出るようにした。セミナーに参加をすることで、人とのつながりをキープした。

 

コミュニケーション、人間関係など、一見社会人にとって当たり前と思えるような習慣は、社会とのつながりがなくなるだけで、一切なくなる。これは無職になって本当に衝撃なことだった。個人ではなく「孤人」になっていく。会社がすべてとは思っていなかったけれど、僕にとって会社は一パーソナリティをキープするための必要要件だった。

 

精神の安定

精神の安定なんてまるで、宗教チック。ただ、僕はやっと自分を解き放つチャンスを得た。所詮学生ビザなので、チャンスを得たなんて言うとおこがましい表現だが、自分の資産を文字通り投げ売って得たチャンスだ。

 

何より、「無職」から「学生」という社会性のある身分を得られたことが驚くくらい自分を安心させてくれる。自分のポジションがわかることは、本当に安心する。その結果、考え方がポジティブになってきた気もする。それはこの半年間で得られた一番のものかもしれない。

 

なぜにカナダなのか

なぜにカナダなのか。メープルシロップが好きだから。うそです。

ユーコンの川下りでムース汁やグレーリング飯を食べたいから。やや本当。

 

北アメリカ大陸に行ってみたかったというのが大きな理由。そして、そこで生活を送りたかった。また、物価的な背景や、学校など加味した結果、カナダという選択になった。

住居はオンタリオ州トロント移民の町としても有名。比較的住みやすい町のようだ。こればっかりは、自分が住んでみないとわからないけれど。

また、アメリカに近いというのも理由。北米まで行くのだから、行かない理由はない。

 

最後に

表向き、僕は語学を勉強しにカナダへ行く。

ただ、それが全てではない。

半年間でどれくらい成長できるのか、頑張ることができるのかが楽しみだ。

 

母に「半年間で流ちょうになれるわけない。」と言われた。(母は英語教員)

今までは、「そんなことは分かってるよ…」と自身半分諦め気味のトーンで返答をしていた。ただ、今では言える「流ちょうになって帰ってきてやるよ!」

 

色々な苦労があることも重々承知。だからなんだ。そんなんで立ち止まっていては何にもできない。もう、躊躇して立ち止まる僕ではない。

 

30歳手前で職なしで海外に行く。早く就職すればいいのに、なんて言葉も聞くし、それを言わないけれど、思っている人が周りにいることも分かっている。そんなに海外に行きたいのであれば学生の時に行かなかったの?なんて言われるしまつ。至極その通りです。でも、その時には、僕は海外で生活することにあまり興味を抱かなかった。その興味が今沸いているだけ。

新しいことをやることに年齢は関係ない。「よし、やってみよう!」と思った時が、その時点で一番若いのだ。年齢なんて関係ない。

 

待ってろ、今から本気出す!

待ってろ、今から本気出す!

 

ではでは。