駄話日記

おもしろきこともなき世をおもしろく すみなしものは心なりけり

模倣、影響そして自分へ

歌手のあいみょんの「マリーゴールド」って曲がメダロットの音楽と似ているってトピックを見た。実際に聞き比べてみると、確かに似ている。で、だから何だというのが僕の感想。


そもそも、あいみょんきゃりーぱみゅぱみゅ系の女の子だと思っていたが、写真を見たら普通の女子大生みたいで驚いた。

 

すべては模倣から


何か新しいことをするとき、何か文章書くとき、僕は誰かの模倣から始める。好きな作家の文体だったり、エッセイの真似事をしてみたり。誰か好きな人の影響を受けながら模倣を繰り返す。

 

でもこれって、すべてのことに共通することだと思っている。
初めて言葉を話したとき、初めてボールを投げたとき、初めて勉強したとき、すべては誰かの模倣から始まっている。ある程度のことがやりつくされ、前例がたくさんある昨今、模倣は何かを始めるきっかけになる。すべてがオリジナルというものはなかなか少ない。

 

誰かが、素敵な音楽を作っている。

ちょっと真似してみよう。

真似したけれど、この部分をこうしたほうがよりいいな。

の繰り返し。

 

今の世の中、0から新しいものを作るほうが難しい。何か新しいと思ったら、前例があるパターンのほうが多い。どこかのインタビューでユーチューバーが話していたけれど、「ネタを考えたら、検索してみる」と話していた。


すでに、今は「検索」が容易になった。それは、日本だけでなく、海外の情報まで網羅できる。何か新しいことを考えたと思っても、地球人口70憶人もいれば、誰かしら先んじてやっていることがあるのだ。だから先駆者は強い。それは自分がオリジナルと主張できるから。


ただ、いちいちそんなことを気にかけていてはらちが明かない。結果、意図せずに模倣になってしまうように見えるのが悲しいところ。

 

影響を受ける


さて、あいみょんの話に戻ろう。
たしかに、似ている。電子音とアコギだから完璧に似ているとは言わないけれど、似ている。ただ、もし、影響を受けて自然に似通ってしまったのならしょうがない。音楽では、そんなことがよくある。影響された結果、自然とその系統の音楽を作曲してしまうのだ。

 

Marlena Showの「You Taught Me How To Speak In Love」って曲がある。一度聞いてみてほしい。サザンの例の名曲とそっくりだ。実際にはMarlena Showのほうが古いので、サザンが影響を受けたのだろう。そんな例は多々ある。それこそ、YouTubeで「似てる曲」なんかで検索するとたくさん出てくる。


ただ、一つ言いたいのは、Marlena Showもサザンもともに素晴らしい作品なのだ。

 

では、なんでここまでぱくりと言われるのか
それは、以前よりも様々な情報へのアクセスが簡単になったことからだろう。

サザンの例でいえば、その当時、インターネットだって一般には普及していない。音源だってLPかラジオくらいだろう。LPは再現性があるが、ラジオはライブなので、繰り返し確認をすることができない。しかも、おなじタイミングで全員がその情報源にアクセスすることができるわけではないから、単純に「認識されなかった」と言うのがポイントだろう。


例えば、アフリカの音楽を完全にパクって、歌詞だけ、日本語に置き換えたとしても、その当時であれば、アフリカ音楽が詳しい人も少ないだろうし、その音源へのアクセスができない。結果ばれない。情報へのアクセスが容易で、拡散もしやすくなった。
だから、あいみょんのケースは時代が悪かったとも言える。

 

模倣の結果、影響を受けることは良いこと


だと僕自身は思っている。いい影響であればなおさらだ。そして、影響を受けるということはその分その物自体が「好き」ということ。「好きな物」と「嫌いな物」どちらを真似しますか?

質問を変えよう「好きな音楽」と「嫌いな音楽」どちらを好んで聞きますか?もちろん前者に決まっている。歌手の人にとっては自分のメッセージを伝える物かもしれないが、聞き手側からしたら娯楽の一つでしかない。娯楽に時間を費やすなら好きなほうが良い。

 

あいみょんは「好きな音楽」から影響を受けた。そしてトラックを作成したら結果似てた。そんなもんだろう。目くじらを立てるほどでもない。
何より、彼女は作品として世に放ったのだ。それは、作って、くすぶらせているだけよりよっぽどいい。影響を受け、作品という形で世に放った。それは、彼女自身の大きな糧だ。

 

似ている物を見るとパクリという風潮が僕は嫌いだ。
今の世の中完全なオリジナルを出すことのほうが難しい。作品の雰囲気に難癖をつけるのであれば、インタビューで「好きな歌手は?」「影響を受けた人はいますか?」なんて質問をするほうが間違っている。

 

人は誰だって影響を受け、模倣にし、自分にするのだ。


影響を受ける人が、それぞれ多種多様だから結果「一人の個人」となるわけで、はじめから「一人の個人」なんていないと思うのが僕の考え。

 

ではでは。