駄話日記

おもしろきこともなき世をおもしろく すみなしものは心なりけり

すべての大人へ捧げます。『ババァ、ノックしろよ!』

子供が生まれたときに参考にするものは?
た〇ごクラブ?
ひ〇こクラブ?
家庭〇医学?
いや『ババァ、ノックしろよ!』だ。

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 イントロ


母シズム。なんとも的を得た表現だろう。
母親の無責任な行動、お節介。子供のプライバシーにずかずかと踏み込んで切る傍若無人ぶり。(貴方はオーディンでしょうか…)
それに苦しむ子供は多い。いや、子供はすべからく、母シズムの犠牲者ではないだろうか。

 

そんな、世界中にあふれている母シズムが子供のプライバシー、センシティブな心情や性で暴力を振るうさまをまとめたものが本書である。


タイトルの通り、子供は「ババァ、(心のトビラ)をノックしろよ!」と思っているのだ。

 

母シズムへの抵抗

僕は、幸いにも、母シズムの餌食にあまり合わないで済んだ。それは、自己防衛に徹底していたからに過ぎない。極力粗を出さなかったのだ。特に好きな人の話など、「僕は、異性には興味ありませんよ」な雰囲気を常に醸し出し、話題を出すことすらNGにしてきた。それが後々の事件を起こす。

 

公務員というお堅い職業の母親、かつ、定職のない父親の間に生を受けた一人っ子の宿命だといってもいい。僕が家庭の中で上手くいくためには「心配を掛けない」がファーストプライオリティーだったのだ。だから、極力保守的に、危ないことをあまり行わず、そして何事も連絡をした。


エロ本だって掃除という名のガサ入れが遂行されそうなのを察知し、巧みに隠す。そう、すべては心配をさせないという気遣いから。

そんな空気を読んだり、巧みにエロ本を隠したりすることで、あまり母シズムの影響を受けることもなく成長する。

 

ただ、今思い返してみたら、このような生活をしていたのは、母親の極度の心配性から発生する圧政、母シズムに服従していたとも言えなくもない。さすが、我が家のダース・ベイダー。フォースで我々の心理までコントロールすとは…

 

おかげで、一人暮らしのために家を出たときは、母シズムからの解放を純粋に喜んだ。
俺は自由だ、精神の解放だ!」気分はまさにショーシャンクのティム・ロビンスである。盆と正月が同時に来るとはまさにこのことである。

 

僕の「ババァ、ノックしろよ!」


あまり母シズムの影響を受けていない僕でも、「ババァ、ノックしろよ!」と思ったことはある。

 

先にも書いたが、母親がお堅い公務員手前、恋愛の話や好きな人の話を一切しなかった。
中学3年生の時、僕はあまり中学校が好きではなかったこともあり、オナ中がいない学区外の男子校へ進学することに決めた。相変わらず、男子校で出来た友達とは今でも仲が良い。

 

大学生になったころも、高校時代の友達や、大学で出来た男友達と遊ぶ日が続く。
あまりにも男友達としか遊ばなかったせいだろう。我が家のダース・ベイダーこと母親は、自分の息子が男の子にしか興味がないのではないかと疑いだす。
そんなある日、ご飯の後に放つのだ。

 

母「男の子と性行為する際にもゴムつけるのよ。
僕「・・・?」

 

二の句が継げないとはまさにこのことである。僕は、何が起きたのか一切理解ができなかった。
余りにも斬新すぎるアドバイス。そして、私は息子の自主性を尊重してますよと言わんばかりのどや顔。どこの虹色の世界の使者だバカヤロウ。

 

確かに、女友達の話とか好きな女の子の話をしなかったのは事実としてあるけれど、そこまで思考がぶっ飛ぶか普通?


そのくせ、「卑猥な本(エロ本)、古いから捨てたらどう?」とか、ちゃんと息子が異性に興味あることわかっているから、なおさらたちが悪い。(俺の隠し場所はいつばれた…)それから7年ほどたつけれど、思い出すだけで恥ずかしくなる。

 

もし、隕石が落ちてきたり、地球の自転が止まったり、T‐800のシュワルツネッガーが目の前に現れたほうが現実として理解できただろ。そのくらい何を言っているのか理解できなかった。

 

僕の「ババァ、ノックしろよ!」は比較的ライトなほうだけれど、子供はみな同様に母シズムの餌食になっていることには間違いない。


そして、往々にして同じことを親になったときにやってしまうことも仕方のないことなのだろう。だからしょうがないよね…なんて言うかバカヤロウ。

 

母シズム、時に父シズムが子供にどんな思いを抱かせるかを考えてみてほしい。
この本を読んでいただければ、「あるある!」な話が満載だろう。そこで、改めて、母シズムの脅威を理解することができるのだ。

 

みんな気遣って生きている


乱暴な口調で、母シズムや、プライバシーの侵害とか、ダース・ベイダーとか言ってきたが、すべては、息子を心配する気持ちからなのである。子供の時にはそんなことを一切感じなかったが、大人になるとよくわかる。これが、親になったら心配する側になるのだから余計だろう。

 

ダース・ベイダー(アナキン)だって、最後はルーク(息子)を助けるために、ダースシディアスへ自分の命を犠牲にして立ち向かうのだ。親はすべからく子供たちが心配なのだ。しかし、時に、子供は親の一挙手一投足が怖くてしょうがない。

夕飯時に電話がかかってきて、僕の顔を見ながら電話する母親を見て、何度トイレに逃げ込んだだろう。

 

親も子もお互い心配しながら、気を使いながら生きているのだ。ただ、時に、無情なプライバシーの侵害の母シズムによって、心の平穏が破壊されることがあるということだけは理解していただきたい。

 

時には、子供の口調や、発言、行動で傷つく親も多いだろう。ただ、すべてが親の望むとおりに成長したほうが気持ち悪くないだろうか?

小学生中学年にもなれば誰だって自我が出てくる。中学生にっもなったら、大人びて背伸びをする。高校生になったらますます大人びる。だったら、それに付き合ってあげてほしい。いつまでも大人ではない、ちょっと成長した自分と付き合ってほしいと思うのが子供の気持ちだ。


ただ、すべてが大人ではない。正しい、悪いの分別が付かないこともあるだろう。そういう時に改めて、親、子供の立場に立ち返ってはどうだろうか。


親にとってはいつまでも子供であることに変わりはないけれど、子供はいつまでも子供ではないのだ。一人の人間として向き合ってほしいと思うのも、子供の気持ちなのである。

 

本書をすべての大人へ


本書は母シズムによる、息子、娘の気持ちの葛藤が書かれている。おそらく、育児雑誌よりもリアルな内容だ。あらかじめ読むことによって、自分の体験をフラッシュバックすることもあるだろう。だから、親になる前、子供が大きくなる前に当時に立ち返ってほしいのだ。

 

だから僕は、すべての親になる大人にこの本が届くことを願ってならない。

 

最後に、母シズムやダース・ベイダーとか言いましたが
…でもね、…でもね、

お母さん、産んでくれて、ありがとう!

 

ではでは