ドナルド・キーンの「誉め言葉」
「やりたくないことをやったのなら褒められてもいい。
やりたいことをやったのだから褒められなくていい」
ブログを始めて3年ちょい。
いまだに一日15件くらいしかアクセスがないのによく続けてるなと思う。
さて、はてなブログには【今週のお題】がある。今まで知らなかったけれど、お題スロットと言うものがあるんだね。ためにしに回してみたら、「最近知った言葉」というお題がでたので、それで今回は書いてみる。
とは言ってみたものの、最近知った言葉って何かあったっけ?とそもそもに窮する。
そんな中たまたまテレビでドナルド・キーン氏の訃報ニュースが流れた。
ドナルド・キーンと言えば、「私は日本と結婚した」と発言し、日本国籍も取得した人。日本文学を海外に発信した第一人者だ。近松門左衛門など古典も発信した。
ロバート・キャンベルにも影響を与えている。ドナルド・キーンについては、ググればたくさんの情報が出てくるので、そちらを参照してください。
で、その彼が、日本国籍を取得した際に残したのが、この言葉である。
「やりたくないことをやったのなら褒められてもいい。
やりたいことをやったのだから褒められなくていい」
自分がやりたいことをやることは当たり前。だからそれで褒められる必要はない。
あぁ、好きなことを続けて達観すると、この境地まで来るんだなと思った。
確かに、人間「やりたいこと」と、「やりたくないこと」、どちらがやりたいかと言ったら、もちろん「やりたいこと」だ。
ただ、どちらもやったことに対して、褒めてほしいと思ってしまう。
何か成果物を出した際に、「誰かに認められたい」、「人に褒められたい」と思うことは人の性だろう。だって、褒められたらうれしいし、次につながるモチベーションになる。
ただ、キーン氏にとって「やりたいこと」をやることは当たり前。そこには労力はかからない、かかったとしても労とは思わないのだろう。達人の域ってのはこういうことを言うのだろう。
また「やりたくないことをやったのなら褒められてもいい。」という表現。べつに褒められる必要はないのだ。いやなことであっても、誰かがやる必要がある。だからやる。
きっと、先駆者と言われる人はこのような考え方を持っている人が多いのだろう。
やりたいことだから率先して。また、やりたくなくても将来を見据えて行える。
そんな人間に少しでもなりたいなと思うと同時に、僕がいかに俗物だったかと反省してしまう。
ではでは。