駄話日記

おもしろきこともなき世をおもしろく すみなしものは心なりけり

コミュニケーションが下手?原因はリスペクトの欠如。

久々に一緒に住むようになって、今までと何か違うと感じることが多くなった。
最初は生活リズムの違いかなとも思ったが、そうではない。
問題はコミュニケーションにあった。

 

イントロ


最近のもっぱらの悩みは「家族間のコミュニケーションがうまくいかないこと」
一人暮らしをしていた時は、そこまで親との仲は悪くなかった。
誤解を招かないようにするけど、今も仲が悪いわけではない。

 

一人暮らしをしていた時は結構雑に会話をしていた。
たまに、会う程度だったらこれで十分だった。(本来はよくないことだけど)
ただ、この雑なコミュニケーションが一か月、二か月と月日を重ねるたびに、ストレスになってくる。

 

家族だからきつく言っても

これは僕の欠点の一つ。ちなみに、僕の家族は基本的に会話が高圧的である。
だから聞き手によっては、喧嘩しながら会話しているようにしか聞こえないだろう。
僕も久々に家族と暮らして、きつい会話をしているなと感じることがある。

 

きつく言うには
①表現がきつい
②トーンがきつい

 

の二つがあげられる。特に気を付けたいのは②のほうだ。自分では、高圧的に話しているつもりは無いのだけれど、「なんでそんなに高圧的なのか」と叱責されることがある。


もちろん、受けて側は高圧的と感じるから、相手の口調も高圧的になる。お互いの口調がきつくなって、満足な会話なんてできやしない。そもそも会話することにつかれるのだ。

 

なぜそうなるのか。理由は明白「くだらないマウント合戦」だ。こんなことを言ったら僕の両親は否定しかしないだろう。ただ、事実そうなのだ。「年下から何かを言われることに慣れていない」生活をしているとそうなる。常に、自分がヒエラルキートップと感じているから、下からの突き上げにイラつくのだ。


僕も僕で、高圧的に話されるとイラつくから、口調が強くなる。こうなったら負の連鎖しかない。

また、同じようなことを何度も繰り返し言われ続けているあまり、反射的にトーンがきつくなることもあるようだ。

 

ただ、これはコミュニケーションのあり方として間違っている。声が大きいものが勝つ世界だ。高圧的に言って、相手を委縮させる、もしくは、コミュニケーションを放棄させることはあってはならない。

僕自身もこれは気を付けるべきだが、自然と口調がきつくなる傾向は確実にマイナス要素なのでこれを機に顧みないといけない。

 

家族だから表現が中途半端でも

ある日の会話より

僕「昼食作るけど、どうする?」
親「ちょっとだったら食べる」
その表現に僕はイラついた

 

ちょっとってなんだよ。僕にはあなたの「ちょっと」の量がわからない。二人分作ったら食べないってこと?中途半端に量を表現するなら、食べる、食べないではっきりしてくれ。
(我が家では、よく「あなた」「あの人」って表現をする。ちょっとこれも異常だ。)

 

お恥ずかしいが、こんな始末である。

こんなことでイラついている僕も情けないけど、表現をあいまいにしたことで起きた事例だ。
表現や依頼が中途半端であることは、行為者にとってストレスでしかない。やるか、やらないかをはっきりしてもらったほうが、計画は立てやすいし、行動に移しやすい。


中途半端な表現は受けての行動を抑制してしまうから避けたほうがいいだろう。

 

まとめ コミュニケーションにはリスペクト


なぜ、言い方がきつくなったり、雑になったりするのだろうか。
それは「リスペクト」が欠如するからだ。その根底には「家族だから…」があるはずだ。

 

「家族だから、この表現でも怒らないだろう」
「家族だから、適当に話しても伝わるだろう」

 

家族を小ばか、子ども扱い、呆れている、そんなディスリスペクトの感情が入ると、コミュニケーションは雑になりやすい。

なぜなら、リスペクトしていない相手と会話するのって面倒でしょ?

 

「そんなこと思っていない!」と反論する人もいるだろう。
ただ、思いかえしてみてほしい。
「まぁ、「これ」で伝わるよな」と思って伝えたことは無いだろうか。
「どうせ伝わるでしょ」の感覚がディスリスペクトである。

 

それが、家族間でも十分に起きる可能性がある。事実我が家は起きてる。

 

親には当然恩はあるし、親だって、子供に何かしらしてもらった恩がある。また、子供だって、何時までも子供ではない。ある時点から自我が目覚める。
親にとっては、子は一生子供であるが、子ども扱いしていいというわけではない。一人の大人として対応することが誠意だろう。いつまでも子ども扱いしているから、なめられ、小ばかにされ、尊敬されなくなるのだ。

 

家族間のコミュニケーションは意外と難しい。ビジネスで行うコミュニケーションのほうが楽に感じることが多々ある。そこには人間味があまり加味されないから。よく言うビジネスライクだからだ。


ただ、家族とのコミュニケーションで利害関係を感がることはまずない。だから、雑になる。雑になってもいいと思いがちだ。ただ、そんなコミュニケーションの先には家族体系は生まれない。

 

だから、「あれ」「これ」で会話している家族のCMは好きになれない。あれが理想の家族像だとしたら人生悲しすぎるね。

 

ではでは。