駄話日記

おもしろきこともなき世をおもしろく すみなしものは心なりけり

「伝え方」と「英語力」

いま、日本人の多くが注目するトピックは「伝え方」と「英語力」(以下「」が面倒なので、伝え方、英語力)だ。

 

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(写真は本文と関係ありません)

 

きっかけ

理由は本屋のフェイス(正面陳列。一番客のニーズが高く、主要トピックを陳列する)にある。僕は約5年間アパレルのVMDを作ってきた。詳細な勉強ではなく、実地の叩き上げだが、それなりに自信はある。その経験から本屋、服屋、ホームセンター、スーパーなど買い物へ行くとフェイスに注目してしまう。

 

今日、有楽町の三省堂書店へ行った。二階の書籍フロアで大きな面積を取っていたのが、伝え方と英語力関連の書籍。実践系、トレーニング系がレジ前を占めていた。ここ2〜3ヶ月はフェイスが変わっていない。アパレルでは52週VMDという言葉があるくらい入れ替えが頻繁なことを考えるとかなりのロングランVMDであることに違いはない。

 

つまり、伝え方、英語力は今の日本に主要なトピックスであり、それを(即座に)求める人が非常に多いということだろう。

 

伝え方の必要性

一般論だが、日本人は「表現すること」が苦手とされる。今まではその奥ゆかしさが「謙虚」というプラスの評価を受けていた。しかし、いまでは「謙虚」ではなく「単なる受身」とみられる事が圧倒的に増えた。社会もReactiveな人は要らないのだ。待っているだけで仕事が来る時代は終わった。Proactiveで無ければこれから仕事を見つけ継続していくことが難しい。

 

それに拍車をかけるのがグローバル化

有楽町駅の近くにはコンビニが二軒並んでいるのだが、深夜に行くと働いている方が9割外国人である。今では、外国人が日本で働く事は普通だし、これからますます増えるだろう。彼らは、日本語がままならない中でも日本で働いている。働いてるという事は面接を通過したという事。彼らは拙い日本語でも「自己主張」をして仕事を勝ち取っているのだ。

正社員面接、バイト面接。程度の差こそあれ面接は「伝える場所」であることに違いはない。「伝えないこと」を「謙虚」と捉えられる時代はもう終わりなのだ。「沈黙は金」ではない。

 

外国人は自己を主張する。正誤別として自分の意見を述べる。海外に行って如実にそれを体感したわけだ。「僕は、私は伝えるのが下手だから…」では、今後来日する可能性の高い外国人労働者に仕事が優先される。一生、諸外国の傀儡国家で満足なのでであれば、いいけど、本当にそれでいいの…?

 

英語力の必要性

さらに拍車をかけるのは言語の壁だ。

僕は一年外資に勤めた。幸いにも僕は英語を頻繁に使うポジションではなかったが、トップは英語でのレポートが当たり前。これは外資だからではない。これからの可能性の縮図だと思う。日系企業だってトップが外国人になる可能性だってある。取引先企業が外国人が担当になる可能性だって多いにある。

 

共通言語は英語である事は間違いはない。10年くらい前は英語できますは「すごい」の対象だった。今となっては「当たり前」になりつつある。いや、むしろなっている。当たり前が出来なくてこれからでも十分なのだろうか?今、日本で働いている外国人の多くは、英語はもちろん、日本語も流暢、さらにビジネス面でもオリジナルのスキルを持っている人が多い。極端な表現だけど、全般的にスキルの高い人間と、当たり前が出来ない人間、どちらの方が求められるかは目に見えている。これで後者を選んだ企業は100%縁故採用しているに違いない。

 

日系企業の求人を見ていてもTOEICのスコアや留学経験を採用基準にしている企業も多い。英語力はもちろんだけどスコアに至った努力や、留学経験を経て得たストレス耐性や達成力が重視されているからだろう。英語はコミュニケーションツールに必要なスキルであるが、先に述べた通り「英語力=努力値」を測定する背景もあるのではないだろうか。

 

まとめ

有楽町というビジネス街、ショッピング街のど真ん中にある本屋が「伝え方」と「英語力」の書籍を大々的に売り出している。販売戦略もあるだろうが、ビジネスマン、ビジネスウーマンが注目するトピックスだからこそ、売場の面積を割いている。以前よりもそのニーズが高まっていることの表れだろう。本屋の商品から今の社会に必要なスキルが見えてきた。僕自身このスキルを正しく高めたいと思っている最中だったので、三省堂書店のラインナップを見て今やってる事は今のところずれていなかった。

きっとそのうち、「英語力で伝える」様な本が席巻するのではないだろうか。