駄話日記

おもしろきこともなき世をおもしろく すみなしものは心なりけり

映画『PK』

を見た。

 

監督のラージクマールの映画は前に『きっとうまく行く 3 idiots』を見ているので2作目。

予告を見た時から見ようと心待ちにしていた。

 

地球の一切が分からない主人公が、人間の矛盾作中では「かけ間違い」に直面し、素直な疑問を提示するストーリー。

 

見ながら、「なるほどな」と思うことが多々あった。例えば宗教を会社に例える話。神は社長で、信者は従業員という例え。そう考えると、なぜ地球にこれほど多くの宗教があるのかが理解できる。会社にはそれぞれの信条があり、都合もある。宗教も同様だ。人は多様に富んでおり、各々自己に適した物を選ぶことができる。

 

しかし、自由に宗教を選ぶことができる人はどれほどいるのだろう。ヒロインのグジーはヒンドゥー教。しかし家族は新興宗教を支持している。対して、彼氏はイスラム教。当然、ヒロインの家族は結婚に猛反発する。時には自己の決定よりも、宗教が勝る場合が往々にしてあるのだ。

実際、宗教の自由なんて日本くらいで生まれてから、宗教や信条が決められていることの方が多いもではないだろうか。日本に住んでいて感じたことは無かったが、宗教とは人々の支えでありながら、規則、抑止力となるのだ。こんなことは、日本映画を見て考えたことはない。

 

人はなぜ神にお供え物をするのか。お供え物をして、子供の健康を祈るのであれば、そのお供え物の食べ物ををあげればいいし、新興宗教が信仰の対象を建立する場合、なぜ信者が献金する必要性があるのか、など当たり前すぎて考えなかった疑問が多々出てくる。そういう疑問を持つと、ある人は面倒な人間だ、ある人は偏屈だと言うかもしれない。しかし、そう言う変な疑問を抱かずに日常に流される方がよっぽど愚かだと思う。

 

前作のように馬鹿げた笑いが沢山ある映画ではないけれど、見た後に色々なことを考えることができる。そして今の社会の疑問や矛盾がもどかしくなる。主人公のセリフではないけれど、「地球人は素直ではない」と言うことがよくわかる。僕自身「素直」からかけ離れた人間だし、そんなことを言う資格はないけど。7

 

ただ、「素直」が常に美徳ではないと思う。奥ゆかしさ、表現の読取を必要とさせるのが人間の性だし、魅力でもある。『PK』はそこの部分まで描いており、主人公の疑問と回答の押し付けで終わらないところがよかった。

 

PKの疑問は、純粋無垢な子供が抱く「変なこと」に近い。子供の聞く疑問を、社会の常識だからで一蹴してしまうことがあるが、自己の考え方でもいいからきちんと答えないといけない。僕はPKが提示する疑問にどれほど回答することができるだろうか。