駄話日記

おもしろきこともなき世をおもしろく すみなしものは心なりけり

出口のない会話

お昼を食べに外に出た時である。

我が家の近くには商店街があり、そこで地元客の腹を満たしてるファミリーレストランがある。

正真正銘ファミリーで経営しているファミリー向けのレストランである。

日中の昼間は定年を超え暇を迎えているオヤジたちがコーヒーを囲んでいることも多い。

 

店の隅のテーブル席でそのオヤジたちは食後のコーヒーと井戸端を楽しんでいた。別に聞き耳を立てていたわけではないのだが、「3億でも、7億でも金の大小に違いわない」とか「人を轢き殺しても大丈夫な保険に俺は入ってる」などスケールが掴みにくい会話を繰り広げているから、自然と気になってしまったのだ。

 

「スカートって涼しいのかな」とオヤジAはボソッと呟いた。「涼しいに決まってる、下から風が吹いたら快適だろう」とオヤジB。「ところで、どっかの民族が男のスカートだったな」とオヤジC。どこの民族だっけ、お互い記憶力の弱った頭で会話を繰り広げるのだ。結果、近所のオヤジの飯の食いっぷりがいい、という結論で着地するのである。

 

スカートの民族の話はどこ行った、と聞いている僕は思うのだが、当の本人たちは木に求めていない。わざとか、自然にか出口のない会話を繰り広げて無限の与太話旅行を楽しんでいるようだ。

 

偏見があるが、女性の長話と男性の長話は構成が違うと思う。女性は「ところで」「そういえば」と事前の話題と百八十度異なることを広げることが得意だ。男性は話の中から引っ張れる要素を引き抜き長話にする。

 

女性は引き出しの多さが一種の美徳であり、男性は一つの引き出しの中を漁り特異なところを極める。

 

男性も女性も出口のない会話をすることがあるが、男性の方が「変態的着地」を迎えて終焉することが多く、結局は最初の話題の結論は出ないことが相応にある。