駄話日記

おもしろきこともなき世をおもしろく すみなしものは心なりけり

ストローの穴から

スターバックスのストロー廃止がニュースになった。

 

https://www.fashionsnap.com/article/2018-07-10/starbucks-straw/

(リンクの貼り方が合ってるのかわからない…)

 

2020年までにプラのストローを廃止することを目指すようだ。プラから紙へ。

フラペチーノのが食べにくくなるんだろうなと思いつつもいい試みだと思う。

 

「限りある資源を…」と永遠と謳う自然環境保護団体より、メジャーで影響力のある企業が実施する方が波及効果は高いだろう。しかも、生活に比較的密接している「ツール」が無くなる(紙に代用)されるわけだから、影響を受ける人は多い。

 

「ストローだってリサイクルすればいいじゃないか」と言う人も出てくるだろう。リサイクル至上主義者だ。しかし、リサイクルが全ての面で良いというわけではない。

 

例えば洋服。セールで消化しきれなかった物は、キロ単位で買い取る業者へ流れて最終的にはゴミ処分となる。むしろ、セールで叩き売りするよりも廃棄した方が利益は出るのだ。資源の無駄という人もいるだろうが、企業が残るためには、一般的に懸念される事でもやらないといけないこともある。遠い未来の環境問題よりも目先の利益を守ることそれが経営者にとっての正義だ。

 

正義の捉え方は人それぞれだから、立場によっても変わるだろう。ただ僕が言いたいのは、全ての事は多面的で合って、白黒だけで判断できるほど世の中単純じゃないという事だ。

 

「プラのストローがなくなる=不便=スタバに行かない」は短絡的な発想だし、そんな人はマイノリティだろう。新しい発想が生まれた時、その物事に対して色々な可能性を考えるべきだと思う。

 

プラのストローから紙のストローに変えるだけで利益率が格段に上がるかもしれない。プラのストローがなくなって、環境改善が図られた事で、スターバックスノーベル賞を貰えるかもしれない。

 

「何かが起きた時、本当の目的は何か」

を考えることが、この不浄な世の中を上手く渡って行くすべかもしれない。

 

ストローの穴から見える世界は環境保全か、それとも何か別のものか?