駄話日記

おもしろきこともなき世をおもしろく すみなしものは心なりけり

お金の使い方と社会の変化

ここ10年弱だろうか、今まで以上にお金を使うカテゴリが増えた。

 

食費、家賃、電気代、水道代、ガス代

最低限、生きるためには上記の出費は免れない。(持ち家とか、賃貸で変わるところはあるけど)

 

それ以外の、趣味に費やすお金は、概ね「雑費」と呼ばれる。

ここ数年で「雑費」にあたる物が拡大したと思う。

今まで、個人的な雑費では、洋服代、本代、レンタルビデオ代とこんなものだった。

それが、映画代、スポーツ観戦、飲み代というように、カテゴリが増えてきた。

 

雑費の拡大は、人との付き合いや、趣味の変化、拡大によって変化してくると思った。一人で過ごすことが多ければ、おそらく飲み代なんて微々たるものだし、人と会わない、服に興味が無ければ、洋服代は掛からない。

つまり、雑費の種類の多さは、その人の多様性を表していると思う。

 

よく、「無駄遣いして」という言葉を言う人がいるが、それが、無駄か否かは人次第だ。一見無駄かもしれないが、その出費は人を形成する、一人の人格を形成しておくために必要な出費なのかもしれない。

 

ここ何年かSNSが生活の一部となっている。企業がSNSをやっていることは決して珍しいことではないし、SNSがブームを作ることが普通になってきた。

料理とかも、「インスタ映え」するように作ることが大切らしい。女の子とかも、インスタに載せるためだけに、ご飯食べてるんじゃないのか、行列を作っているのではないか、と思うことがある。彼女たちにとってインスタの充実は、現実世界の充実の投影なのだ。

しかし、ここで思うことは、インスタグラムは現実世界の投影とはいえ、あくまでバーチャルだということ。生活の一部を切り取って、充足感を出したところで、その充足だけに満ちあふれたインスタグラムの世界は、作り物なのだ。「いいところをコピペした世界」と言ってもいいかもしれない。実際、マイナスなことを掲載する人は少ないんと思う。

 

僕は、出費は現実世界のために、するべきだと思う。仮想空間で満足する、切り取った生活を充足させるためにの出費こそまさに浪費だ。あくまで、僕たちがいきているのは現実世界だし、仮想現実に飛び込むことはできない。

 

お金を使う方面が、かなり拡大している。しかし、仮想現実を満足するための、出費だけは割けたいと思っている。なぜって、結局僕たちは、現実にしか生きられないから。